~大学卒業まで
■1990年、岡山県で生まれ、滋賀県で育つ
■5歳の頃から父の仕事の関係でウェールズで過ごす
■中学と高校はサッカーと勉強に打ち込む日々を過ごす
■シアトルのワシントン大学に留学
■立命館国際関係学部を卒業
新社会人 ~ インドネシアへ
■野村證券に入社、札幌支店配属
■大学時代の友人にインドネシアでの資源ビジネスに誘われたことをきっかけに退社
■退社と同時期に友人から資源ビジネスが頓挫したと報告を受け無職
■インドネシア関連の業務をきっかけにインドネシアへ
TOKYO BELLEグロースフェーズ
■創業者、投資家の方々と共にトライ&エラーを繰り返しながら楽しく事業を育てる
■知り合いゼロからスラバヤのマーケットを開拓
■マレーシアの美容サロンコンサルティングも経験
TOKYO BELLE売却後フェーズ
(現在)
■売却手続きが全て終わった3ヶ月後よりCOVID-19が世界中に蔓延し始める
■数字重視の堅実な経営を新株主と遂行中
父親フェーズ
(現在)
■子供の学校でできた親同士の繋がりを中心に、行事やイベントには積極的に参加し、よりリアルなスラバヤ人について学習中
■親 × ビジネス × 日本人 × スラバヤの視点で見れるようになる
その他
■立命館・立命館アジア太平洋大学(APU)
インドネシア校友会幹事
■EJJC(東ジャワ日本人クラブ)会員
■2014年初めてスラバヤに来て知り合いがいなかった時はマーケットを理解するためひたすらモールで声がけをしていた
■超富裕層から貧困層まで見てきた - 便座がなくで地面の穴に用を足す家から資産100億の家に住む人の生活まで
■自分でスラバヤ市内を車でよく運転する
■インドネシア料理は年に10食も口にしない
■潔癖なので衛生面においてインドネシアで生活する適性は低いと思い続けている